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河村健夫弁護士 今回の口頭弁論の内容は靖国神社の主張――「合祀の具体的な内容は宗教上の問題であり行為であるから裁判で判断すべき性質の事柄ではない」――に対する反論であった。 具体的には、まず、戦前戦後を一貫して国の下請け機関のように在り続けているのに、宗教上の問題であるから法律上の争訟性は認められないなどというのはおこがましいということ。 次に、そうは言っても現在は一応宗教法人格を有しているので、裁判所もそれを前提にした判断をするのではないかと思われるため、それでも支障のないように、過去の判例からすると靖国神社の主張は成り立たないのだということを論証したのである。 裁判長が予想以上の反応を見せたので、一応こちらの主張――「靖国神社の教義内容について争おうというのではなく、あくまで勝手に合祀したという厳然たる事実に根拠して訴訟を提起したのである」――は届いたのではないかと思う。 李熙子(イ・ヒジャ)さん 被侵害利益については既に明白である。そもそも靖国神社を相手に訴訟を起こさなければならないという状況に在ること自体がそうであり、原告の親たちが無断で、しかも日本の天皇のために命を捧げた神として祀られているという状態が被侵害利益であり、また私たちの痛みでもあるわけである。 私は日本の文化や習俗を批判しようという気は全くない。私たちの主張を汲んで要求を受け入れてほしいという、ただそれだけのことなのである。 私は合祀の過程自体が間違っていると思っているが、靖国神社がこれを認める訳はないし、亡くなった方々が自ら語ってくれることも答えを示してくれることもない。それで非常に気持ちが重たいのである。 しかし、この裁判は、間違っている状態を正そう、問題を解決しようという覚悟で始めたものなので、最後まで皆さんと一緒に闘っていく心算でいる。 大口昭彦弁護士 次回は、被侵害利益がどれほど大きいのかという点について論じていくことになる。 靖国神社が宗教法人である現状においては憲法20条の問題を乗り越えないと前には進めない訳で、今までのところは、被侵害利益という問題の核心に入る前の重要な作業を行ってきていたのだと理解していただきたい。 この春、弁護団は韓国で原告の方々から直に被害の実態について伺ってきた。これを、「判決によって正されなければならないことである」と裁判官が理解できるように構成していくのが代理人たる我々の責務である。 前回、李熙子さんが、「自分はもう病気になってしまいそうで、これ以上日本に関わりたくない」という趣旨の発言をされたが、とても辛く感じられ、衝撃を受けた次第である。 これは、やはり韓国人である原告の方々が、日本に足を踏み入れ靖国神社を相手にして裁判を行なうということは精神的負担がいかに大きいかということであり、この点こそが、この問題そして裁判の出発点であるということを改めて肝に銘じた。 準備書面(原告8) 求釈明(國~社) 別紙は、本件において原告らが被告國神社に取消を求めている被合祀者一覧である。 (1)被告國神社は、何故にこれらの者を、同人らの遺族の了解を得ることなく、この時期(別紙一覧表合祀年月日)に、いかなる理由、根拠に基づいて合祀したか。各個人ごとに明らかにされたい。 (2)被告國神社は、上記合祀手続に際し、被告国からどのような指示連絡を受けたか明らかにされたい。 被合祀者目録 犠牲者氏名 合祀名 死亡認定年月日 合祀年月日 所 属 李 思R 李原 思蓮 1944年6月11日 1959年4月6日 陸軍軍属 李 明永 徳澤 明永 1945年6月30日 1959年10月17日 海軍軍属 金 萬業 金本 萬業 1944年9月12日 1959年4月6日 陸軍軍属 高 夢讚 高山 秀男 1944年9月3日 1959年4月6日 陸軍軍人 尹 三炳 伊坂 康雄 1944年9月15日 1959年10月17日 海軍軍属 朴 載甲 竹村 載甲 1944年12月11日 1959年10月17日 海軍軍属 林 萬福 林 萬福 1945年8月24日 1959年10月17日 海軍軍属 呂 昌寛 高島 昌寛 1945年6月1日 1959年10月17日 海軍軍属 朴 憲泰 中原 憲泰 1944年12月19日 1959年4月6日 陸軍軍人 羅 永基 羅本 永基 1944年5月30日 1959年4月6日 陸軍軍人 金 希鍾 豊川 希鍾 1944年7月8日 1959年10月17日 海軍軍属 |
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