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zoom RSS 9月25日 董定男(トン・ジョンナム)さんの陳述

<<   作成日時 : 2015/11/03 16:51   >>

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9月25日 董定男(トン・ジョンナム)さんの陳述

裁判長!
私は、この裁判の原告である董定男(トン・ジョンナム)です。
靖国に合祀されている董善洪(トン・ソノン)の息子です。
私は、今日、裁判長をはじめ、この場に参席されている原告側の
弁護士の方々、被告側の弁護士の方々、そしてこの裁判を傍聴するために
集まられた皆さまに私の話をしたいと思います。

私は、1944年に日本の名古屋で生まれました。当時、父はすでに
強制動員されており、家にはいませんでした。
そのため、私は父の顔も知らず、父に関する記憶も何もありません。
父のことについては母と伯母が聞かせてくれました。父は、名古屋に
あった三菱工場で働いており、家族も皆名古屋で暮らしていたそうです。
1943年3月、会社に動員命令が下され、朝鮮人が強制動員されると、
父は彼らを案内するために一緒に連れて行かれたそうです。
しかし、その後、どうしたことか父は帰ってこず、連絡も途絶えたそうです。
1945年3月から名古屋への爆撃が激しくなると、結局、母は幼い私と
二人の姉を連れて全羅南道高興郡にあった実家に戻りました。
私と二人の姉はその時から母方の祖父、祖母の下で育ちました。

私が3歳くらいになった時のことです。母は、私たちを実家に預け、
一人で日本に戻ろうとしました。
私たちが一緒に暮らしていた家にいつか父が帰ってくるかもしれないと
考えたためです。
しかし、解放後のことだったので、船便は途切れ、混乱した状況が続き、
結局日本に戻ることができなかったそうです。

裁判長!
父のいない人生を想像したことがありますか。
私は母方の祖父と祖母からたくさん愛されて育ちましたが、
父を思いこがれる心は決して満たされませんでした。
母も私が20歳になる前に亡くなりました。
その後、伯母から父の写真を見せてもらいながら、この人が
お前たちのお父さんだよと教えてくれました。
その時、私は顔も知らなかった父の姿を写真を通して初めて見たのです。
私があれほどまでに思いこがれ、会いたがっていた父の姿は、
唯一写真にしか残っていません。

私は、結婚して子供ができ、歳を重ねながら、父の記録を見つけなければ
という気持ちが強くなりました。それが子として当然の道理だと考えたからです。
私は、父の痕跡を探すためには日本に行かなければと思い、一人で
日本語を勉強しました。
そして、1990年初頭、私が生まれ、家族が暮らしていた名古屋市港区に
行きました。
そこはすっかり様変わりしており、倉庫のような建物が立ち並んでいました。
そのため、私は港区庁、名古屋市庁、愛知県庁を訪れ、父の記録があるか
どうかを尋ねました。
しかし、空襲によって記録はすべて燃えてしまったという回答しか得ることが
できませんでした。
私は諦めることができませんでした。
父が三菱工場で勤務していた1944年に千島訓練所に動員されたという話を
伯母から聞いていたため、私は、もしかすると父が乗っていた船が難波し、
北方のどこかで生きているのではないかという期待を常に心の片隅に
抱いていました。
そのため、1997年5月、私はウラジオストックに行き、韓国総領事館を
訪問しました。
ありがたいことに、領事館では現地の新高麗新聞社に広告を出すことが
できるよう力を貸してくれました。
しかし、その後、何も確認することができませんでした。

私は、意地でも父の痕跡を必ず探し出そうと、覚悟を新たにしました。
そして、私なりに暇さえあればいつもあちこち尋ね回りました。
私は、父の痕跡を探し始めてから約10年ぶりについに海軍死亡者名簿から
父の名前を見つけ出しました。名簿には、父の名前が豊田善洪という
創氏名で記録されており、大湊施設部に配置された後、1944年10月25日に
北太平洋で戦死したと記録されていました。
私は、再び日本の地を訪れました。青森県大湊の海軍訓練所にも行きました。
父が亡くなった場所にもう少し近づきたいと思い、北海道にも行き、
サハリンにも行ってきました。
父が亡くなった北太平洋の海を眺めながら、写真の中で記憶している父、
アボジと初めて声を張り上げて呼びました。

裁判長!そしてこの法廷の中にいらっしゃる皆さま!
その時、私がどのような心情だったのか、察することができるでしょうか。
私はこれ以上日本のせいで傷つけられたり、苦しみたくありません。

私は父の記録を探し続けました。そうしているうちに、2年前の2013年9月6日、
「旧海軍軍属身上調査表」からさらに詳細で衝撃的な父の痕跡に
たどり着きました。
この記録を見ると、父は大湊から千島施設部に配置され、北千島で勤務した後、
1944年10月25日、北太平洋で乗っていた船、白陽丸が沈没して行方不明となり、
1946年9月に戦死と公表されたといいます。北太平洋の海に船が沈没し、
亡くなったと知り、胸が張り裂けるほど痛みました。
故郷の地に帰ることもできず、家族を想いながら、あの冷たい海で死んでいった
父のことを考えると、悲しみから立ち直ることができません。
しかし、私が最も衝撃を受け、怒りがこみ上げたのは別のことでした。それは、
その記録に押されていた丸い印でした。その中には、1959年7月31日、
父が靖国神社に合祀されたという内容が記されていました。
調べてみたところ、靖国には遺骸はおろか何もなく、父の名前が記された
名簿だけがあり、父が靖国の神として合祀されていると知り、怒りがこみ上げる
ばかりでした。

私は、長い間父を見つけ出すために努力してきたのに、父がどこでどのように
亡くなったのか、もしかして生きているかもしれないという期待までしながら、
日本全国を探し回り、ロシアにまで行ってきたのに、家族には連絡もせず、
合祀をしたとは、どうしてそんなことができるのでしょうか。
しかも、遺骸は海の中に沈んだのかどうなったのか、知ることもできないのに、
靖国神社が父を神として利用しているとは、私にはとうてい理解することが
できません。

裁判長!
私は、今日この法廷ではっきりと申し上げます。なぜ父を靖国に合祀したのか
問いはしません。
問いただしたくもありません。
今すぐ靖国から私の父の名前を取り消すことだけを強く求めます。

私の父は韓国人であって日本人ではありません。天皇のために死んでいった
人ではありません。
日本が引き起こした戦争のせいで若くして死んでいったことも悔しいのに、
靖国に合祀しているとは、私にはとうてい許すことができません。
愛する家族が今もこうして生きているのに、亡くなったことも知らせず、
合祀すると問いもしなかったとは、とんでもないことではないですか。
現在も植民地期なのでしょうか。私は、私の父の名前を靖国から直ちに
取り消すことをもう一度強く求めます。

裁判長!
私にはもう一つ許せないことがあります。日本政府が日本人にだけ援護法を
適用し、年金を支給しているということです。私たち韓国の遺族は、日本政府から
補償はおろか、一銭も受けとったことがありません。
私たちは、日本によって父を奪われ、そのために幼い頃から非常に苦労しながら
生きてきました。
父がいないという悲しみも大きいものでしたが、補償も受けることができなかったため、
食べていくことすら大変でした。勉強もきちんとすることができませんでした。
私は、幼い頃は生き残るためにもがき苦しみ、結婚してからは父の記録を
見つけ出すためにありとあらゆる苦労をせざるを得ませんでした。
私も日本の遺族のように援護措置がとられていたなら、これほどまで苦しむことは
なかったのではないかと思うと、怒りが収まりません。靖国に合祀する時は
日本人だったからといって合祀し、補償する時は韓国人だからといって差別をするとは、
恥ずかしくもないのですか!韓国の遺族の立場から一度でも考えてみてください!

裁判長!
今年は解放70年に当たる年です。安倍首相の戦後70年談話を見て、
私はまたも怒りがこみ上げるばかりでした。
靖国を参拝した安倍首相にそれほど期待してもいませんでしたが、
その内容はあまりにも真実性のないものでした。植民地支配の苦痛を被った
韓国人に対する言及をまったくせずに、いったい何を反省し、誰に謝罪すると
いうのですか。私のような被害者が今も苦しみながら生きているというのに、
どうしてすべての問題が解決されたかのように述べることができるのですか。
安倍首相が平和を口にしながら靖国を参拝し、さらに平和憲法を無視し、
日本を再び戦争のできる国にしようとしているなんて、全世界が笑ってしまいます。

裁判長!
私は、日本政府が被害者に心より謝罪し、具体的に責任を実践し、靖国が
私の父の名前を必ず取り消すことを最後にあらためて強く求めます。
これ以上、あれやこれや言い訳をせず、私たちに苦痛を強いることをやめてください。

ありがとうございました。

2015年9月25日
董定男

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