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zoom RSS 鄭鎭福さんの陳述

<<   作成日時 : 2016/05/21 10:54   >>

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陳 述 書

私は靖国に合祀されている鄭忠謨(創氏名、岩井忠謨)の娘、鄭鎭福です。
今日、私はとても悲痛な心情でこの法廷に立っています。
私は父の顔も知りません。
私が生まれる前に日本が起こした戦争に引っ張られていき、死んだからです。
そのように無念に死んでいった父が靖国に合祀されているという事実を知り、
私はさらに込み上げる怒りを抑えることができませんでした。
そのため、今日、私は父を無断で合祀した日本政府と靖国の責任を問うために
ここにやって来ました。

父は、ソウルで専門学校まで通い、機械を扱う技術を身につけたといいます。
そのような父が、1943年3月、戦場に引っ張られていきました。
私は父が引っ張られていった6か月後に生まれました。
母のお腹の中にいた私を置いたまま引っ張られて行った時、父がどれほど
悲しかっただろうかと考えると、とても胸が痛みます。
その後、父から2回ほど手紙が来たといいますが、私はその内容を知りません。
私が知っている父の姿は、父が卒業した小学校のアルバムに残っている写真だけです。
それ以外には何もありません。

祖父、祖母、母をはじめとする故郷の家族は、父が生きて帰ってくることだけを
待っていました。
しかし、1944年、父は戦死しました。私の家族は、父が戦死したという通知を
受け取っただけで、遺骨は戻っても来ませんでした。
父が戦死したという事実を信じることができなかった母は、父の消息を尋ねるために
あちこち探し回りました。その時の母はどんな気持ちだったのだろうかと考えると、
今も息が詰まります。

聞くところによれば、この訴訟で「日本政府からの公式的な死亡通知」を求めている
他の原告に対して、日本政府は「知らさなければならない法的根拠はない」と
言っているそうです。
どうしてこのような傲慢で、非人道的な対応をできるというのでしょうか!

私たちは韓国人は、日本に植民地支配をされていたがゆえに、「内鮮一体」の
掛け声の下に、日本が引き起こした戦争に引っ張られていったのです。
このような日本が、無念にも戦死した韓国人について、家族に知らせるのは
最低限の礼儀ではないでしょうか。
実際に、1944年に父が戦死した私の家には通知をしてきたではないですか!
必要と考えたからそうしたのではないですか!

ところが、日本は、戦争に負け、韓国が植民地でなくなるや、「法的根拠が無い」
などといって、切実な想いで待ちわびている家族に、戦死の事実すら通知しない
というのです。
私たち原告の中には、わが子、わが夫がいつ帰ってくるのか、何年、何十年も
待ち続けた家族の話がたくさんあります。
もちろん、知らせればいいというわけではありませんが、死亡通知を受け取った
私の家族ですら苦痛に満ちた人生を送ってきたのに、通知もなくいまだに
放置されている家族のことを思うと胸が張り裂けそうです。

わが家の大黒柱であった父を失い、私たちの生活は非常に苦しくなりました。
私が6歳の時、外祖父が病気になり、看護をする人がいなかったため、母は実家に
行かざるを得ませんでした。仕方なく、母と離れ、姉と私は叔父さんたちの家で
別々に暮らさなければなりませんでした。
私と姉は幼い頃から母と父の愛を受けることができずに育ったのです。
祖母がたくさん愛情を注いでくれましたが、いつも母と父が恋しかったです。

父が戦場に引っ張られていきさえしなければ、私も姉も他の人たちのように
父の愛を受けて幸せに暮らすことができたでしょう。
父が日本のせいで死んだために、私たちはそのような幸福を享受する権利を
奪われたのです。このような私の考えは間違っているでしょうか?

家族がばらばらに離れてしまった遺族は、私たち以外にもたくさんいます。
孤児になってしまい、乞食同然にさすらって大きくなった人も少なくありません。
遺族たちがせめて戦死者の給与などを受け取っていたら、そのような悲惨な
状況におかれなかったはずです。遺族も未払い金があることを知っているし、
支払うよう請求してもいるのに、日本政府はその支払いを拒否しています。
日本人の戦死者遺族には、数十兆円にもなる支援金が支払われ続けていると
聞きました。なのに、韓国人の遺族には未払い金すら支払いを拒否するとは、
とうてい人間としての振る舞いだとは信じられません。

私は父の記録を探すため、遺族会で活動を始めました。2003年にようやく父の
記録を見つけ出しました。
父は第4海軍施設部で海軍工員として勤務し、1944年2月5日、クエゼリンで
戦死したと記録されていました。父の記録を見るや、涙があふれ出ました。
聞いたこともない遠い遠い異国の地で家族を恋い焦がれながら死に追いやられた
父を想うと、胸が張り裂けそうです。

ところで、記録を見ると、1959年に父が靖国に合祀されたと記されていました。
悲しみと共に怒りが込み上げてきました。父が死んでから70年も過ぎた後に
記録を見つけ出したことも悔しいのに、靖国に合祀されたとは、とても腹が立ちます。

父は、天皇のために死のうと思ったのではなく、むりやり引っ張って行かれて
死んだのです。
また、私は神様に仕えるキリスト教徒です。父の墓に十字架を刻み、花も一輪
捧げたいのです。父が靖国に合祀されている限り、私はそうすることができません。
私のこのような願いは、なぜそんなに叶えることが難しいものなのでしょうか?
日本政府と靖国は答えてください!

しかも、日本政府と靖国は、1959年、私の家族が生きている時に父を合祀して
おきながら、連絡もせず、意見を聞きもしませんでした。
なぜ日本政府は父を靖国に合祀させながら家族に知らせてくれなかったのですか?
なぜ靖国は父を合祀しながら70年以上も家族に知らせてくれなかったのですか?
あなたたちには、それは理解できることなのですね?

他人の家族を戦場に引っ張っていって死なせたのなら、知らせてくれるのが人間の
守るべき最小限の礼儀ではありませんか?どうして家族に一言も知らせずに
合祀までできるというのですか?どうしてこんなことがあり得るというのですか?
家族に知らせる責任が、日本政府と靖国にあるのではないですか?
私の話は間違っていますか?
日本政府と靖国は私の問いに答えなければなりません。

日本政府と靖国は、私の父を「日本人として死んだから」と勝手に合祀しているのです。
一方では外国人だからといって未払い金すら支払わず、一方では日本人だったからと
いって無断で合祀する身勝手な行為がどうして許されるのか、この場にいる日本政府と
靖国の人は、遠く海を越えてやってきた私に説明してください。

しかも、靖国は今でも「韓国併合」を正当化していると聞きました。私たちの苦痛、
不幸はすべてそこから始まっているのです。それをいまだに肯定的に捉えているとは、
話にもなりません。恥を知るべきです。

このようなところに父を合祀することは、私の父の名誉を汚す行為です。
私は、自分が生きている間に必ず父の名前を靖国から取り消し、無念に
死んでいった父を、必ずや故郷の地に連れて帰ってあげたいと思っています。

立場をかえて一度考えてみてください。私の痛みが少しでも理解できるのなら、
日本政府と靖国は今からでもその責任を認め、靖国から父の名前を取り消すべきです。
それが本当に責任を果たすということだと思います。

2016年3月16日
鄭鎭福


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