ノー!ハプサ(合祀)

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zoom RSS 第10回口頭弁論 崔相男(チェ・サンナム)さんの陳述

<<   作成日時 : 2017/04/01 16:02   >>

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陳述書

                        崔相男(チェ・サンナム)

今日私はこの法廷において、私の父を靖国神社に無断で合祀してしまった、
日本政府と靖国神社の重大な責任を問いたいと思います。
そして、一日も早く靖国神社から父の名前を取り消すことを強く求めます。
私は靖国神社に合祀されている、崔判龍(創氏名、平山福次郎)の唯一の子である崔相男です。
私は、父が日本の起こした侵略戦争のため、遠いビルマまで連れていかれ死んだことも悔しいのに、
家族にも知らせず今日まで靖国神社に合祀されていることを、とうてい許すことはできません。

父は1941年戦場に連れていかれました。私たち家族は、祖父、祖母、母、叔父、叔母二人、
そして生まれたばかりの弟が一緒に暮らしていました。
祖父は郵便配達をしながら農業を営んでいました。 長男である父は、自分が戦場に行かなければ、
弟が代わりに行かなければならないという周りの人々の話を聞いて、やむを得ず志願兵として入隊しました。
当時の朝鮮では日本人の意思に逆らうことは不可能でした。
私は戸籍には1940年生まれになっていますが、実際には1938年生まれなので、たった3才でしたが、
当時父が船に乗って戦場に行く姿を今も生々しく覚えています。
故郷の智島(チド)の埠頭で祖母、母とともに父を見送りました。
船には父とともに戦場へ行く人々がいっぱい乗っていました。その時、父は21才、母は23才でした。
二人が結婚してから5年しか経たないのに、父は戦場へ行ったのです。

翌年、父は訓練所を終え、戦場へ行く前に、一度家に戻りました。その時、赤痢に罹っていた
私の弟を抱いて父が涙を流していた姿を思い出します。
結局、一才になったばかりの弟は、6月15日(旧暦)に死にました。そして、父は、弟が亡くなって
すぐの7月に再び家を後にしました。その後、父が1943年釜山(プサン)の兵站警備隊に勤めていた
時に送ってくれた写真を、私は今も大切に持っています。一才の息子をあの世に送り、
戦場に行った父の気持ちを考えると、今でも胸が張り裂ける思いです。

1945年戦争が終わってからというもの、我が家族がどれほど切実に父を待ったのか分かりません。
祖父、祖母、叔父は待ち切れずに、故郷から66キロメートルも離れた木浦(モクポ)まで小さい
魚釣りの船を直接漕いで行き、そこで父が帰ってくるのを待ち続けました。
息子が帰ってきたら、一日でも早く故郷の家まで直接連れて行きたいと、木浦まで出かけたのです。
何と1ヶ月半もの間空しく待ちましたが、父はとうとう帰ってきませんでした。
死地から生きて故郷に戻ってきた他の若者たちを見て、帰ってこない息子をとめどなく待ち続けた祖父、
祖母がどれほど大きく落胆して悲しんだかと思うと、あまりにも心が痛みます。
私も子どもと孫を育てる祖父になってみると、その悲しみがどれほど大きかったか想像できます。

翌年の1946年役場から連絡がきました。父が1945年7月22日ビルマで戦死し、戦場から帰ってきた人が
父の遺骨を持ち帰り、保管しているということでした。 遺骨といっても箱の中に入っていたのは
小さな粉のようなものでした。結局父は生きて帰ってこられませんでした。
聞いたことのない遠い異国の地ビルマで、家族を想いながら亡くなった父のことを考えると
あまりにも悲しいです。
遺骨になって帰ってきた息子を目の前にして、祖父、祖母がどれほど大きい衝撃を受けただろうか、
それは言葉では言い表せないほどの気持ちだったことでしょう。また、若くして夫を奪われた
母の悲しみがどれほどのものだったか、考えただけでも胸がつまります。その後母は、
一人息子である私を頼りにしながら、生涯暮らしました。祖母はほとんど毎日父の遺骨が
埋められた墓地を訪ね、帰ってこない息子を思い続けました。私たち家族は、父が戦死した
ということを信じたくなかったため、もしかして父が生きて帰ってくるかも知れないという気持ちを
持ち続けていました。それで、1961年になってようやく死亡届を出し、戸籍を整理しました。

私は木浦の中学校へ進学しました。しかし、父がいないため経済状態が良くなかったので、
学費を払うことができませんでした。お金がなくて、朝食も食べずに学校に行く日も多かったです。
学費も払えない状況で、関節炎まで患うようになって、私は学校を止めなければなりませんでした。
故郷に戻って農業を営みましたが、経済状態が良くならないので、故郷の土地もすべて
売らなければなりませんでした。祖父が残した田んぼまで売らなければならなかったとき、
母が一日中田んぼで泣いたという話を聞いて、あまりにも胸が痛かったです。そして、
いつかは私が金を稼いで、必ずその田んぼを母に買い戻してあげようと決心しました。
その時、本当に父がいないことが、どれ程大きな痛みだったことか。父が生きていたら
勉強もできたし、母もそんなに苦労しなかっただろうと考えると、父を恨めしく思いました。
しかし、私は父が日本軍に志願したということを隠さざるを得ませんでした。
日本の侵略戦争に協力したと思ったので、父の写真をいつも本の中に挟んで懐かしく思いながらも、
隠すほかなかったのでした。

私は結婚をした後、祖母、母を全部連れてソウルに行き、暮らしました。
祖母、母、私たち夫婦と5人の子どもなど、あわせて9人の家族が一つ屋根の下、餅屋を
営みながらどうにか生きるために努力してきました。困難な状況の中で暮らしながらも、
常に父のことを思っていました。母は一生父を恋しく思いながらも、一度も悲しい表情を
見せませんでした。そして、6年前に93才で亡くなりました。日本が起こした侵略戦争のため
夫を奪われ、23才の年に一人身となって以来、70年以上を私一人だけを頼りにして
生きてきた母の人生を思うと、今でも涙が止まりません。
私は父がいなくて勉強を続けることができなかったのが恨(ハン)になりました。
それでいつも本に親しみつつ生きてきました。今でも本屋に立ち寄るのがとても好きで、
子どもたちのために本をたくさん買っています。そして、豊かではなかったけれども、
5人の子どもの学費は、一度も遅れることなく払えるように最善を尽くして生きてきました。
私が貧しかったため、学費を払えなくて勉強を続けることができなかったのが恨になっているからです。

家長として9人家族を支えるために苦労しながらも、父に対する恋しい思いは消えることは
ありませんでした。それで、遺族会に参加し、活動しながら父の記録を探すことにしました。
私はそれまで、父が日本軍に志願したとことを恥ずかしく思い、恨みつつ生きてきました。
しかし、遺族会で他の遺族たちとともに活動し、歴史を勉強することになってからは、
日本の朝鮮に対する植民地支配の実情を知りました。そこで、日本が起こした侵略戦争のため
父が仕方なく戦場に行かなければならなかったという事実を知ることになりました。弟のために
仕方なく戦場に行かなければならなかった父を想うと、恨みと憎しみが尊敬する気持ちへと
変わりました。そして、それまで父のことを隠して生きてきたのが、とても残念で恥ずかしかったです。
日本が起こした侵略戦争のため、父が志願兵として入隊し、そのあげくついに帰ってこなかったために、
様々な苦労をしながら生きてきた祖父、祖母、母、そして、私の人生を考えるとあまりにも悔しいです。

2002年父の記録を探しあてた時、私は父が靖国神社に合祀されている事実を初めて知り、
あまりにも腹が立ちました。日本政府と靖国神社は、どうして家族にも知らせず勝手に
合祀したのでしょうか。
日本が起こした侵略戦争に父を奪われ、多くの苦痛を強いられ生きてきた母と私の人生を考えると、
悔しい思いを禁じ得ません。立場を変えて考えてみてください。私にはとうてい理解することも
許すこともできません。

私は、もう一度この場で、一日でも早く父の名前を靖国神社から取り消すことを求めます。
いま私は父の誕生日に祭祀を行っています。靖国神社に父が合祀されていることを考えると、
その度に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。靖国神社から父の名前を取り消した時、
はじめて私は母の霊前に、晴々しい気持ちで報告することができます。
そして、本当の意味での祭祀をすることができます。それが子としての当然の道理だと思います。
また、私は日本が平和憲法を変えて、再び戦争できる国に変わってきていることにも、
大きく危惧を抱いています。
そして、靖国神社に合祀された父が、そのような日本政府の動きに政治的に利用されている
事実に対してもとうてい許すことはできません。
日本政府と靖国神社は、あまりにも遅すぎるとはいえ、今すぐにでも遺族たちに心より謝罪し、
自分たちの責任を果たさなければなりません。私は、一日でも早く私の父の名前を
靖国神社から取り消すことを、もう一度強く求めます。
 
                          2017年2月15日
                           崔 相 男

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