ノー!ハプサ(合祀)

アクセスカウンタ

zoom RSS 第15回口頭弁論 朴梅子(パク・メジャ)さんの陳述

<<   作成日時 : 2018/06/17 10:38   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

             
       陳 述 書

私は靖国に合祀されている朴冕銖(パク・ミョンス、創氏名:城山冕銖)の娘、朴梅子(パク・メジャ)です。
父は日本の侵略戦争に動員され、太平洋のメレヨン島で戦死しました。私は父の顔を知りません。
父の写真一枚も持っていません。父が死んだメレヨン島がどこにあるかも知りません。
知っていても私一人ではそこへ行くこともできません。
いまこの瞬間にも、侵略戦争に連れて行かれ、遠い他国の島でみじめに死んでいった父を思うと、
胸が張り裂ける思いです。
私はこの場で家族にも知らせず、父を靖国に無断に合祀した日本政府と靖国の重い責任を
問いたいと思います。そして、靖国から父の名前を取り消すことを求めます。

私の家族は慶尚南道(キョンサンナムド)梁山(ヤンサン)で暮らしました。
父と母は1942年1月に再婚しました。
同じ年の8月に父が動員されたので、両親は7ヶ月しか一緒に暮らすことができなかったのです。
結婚生活7ヶ月で、父を日本に奪われ、一人に残った母の悲しい人生を思うと、涙が止まりません。
私は、父が動員された後、1943年2月に生まれました。
父は私が生まれたのを分かっただろうか、そしていつ死ぬかも知れない戦場で、どれほど
故郷の家族に会いたかっただろうかと思うと胸が苦しくなります。

父が動員された後、我が家には母と姉二人(前妻の子)、そして私だけが残ることになりました。
母一人の仕事ではとうてい生活ができなかったため、姉たちは親戚の家に行かなければなりませんでした。
私は母とともに母の実家に行って暮らしました。若くして一人身になった母は、再婚することになり、
私は父方の叔父の家に送られました。
父が戦場に動員された後、私たち家族は別れ離れになったのです。
私は一生両親の暖かい愛を受けず、生きなければなりませんでした。

私は叔父の家で家事を手伝いながら暮らしましたが、学校に通うことはできませんでした。
そのとき、一緒に暮らしていた従兄弟たちは学校に通いましたが、
従兄弟たちが学校へ行く姿をみる度に、うらやましくてたまらなかったです。
私には一度も学校へ行くことができなかったのが、今でも大きな恨(ハン)として残っています。
私は学校へ行けなかったたため、ハングルも独学で習わなければなりませんでした。
両親の愛も受けることもできなくて、学校に通うこともできなかった私の人生を思うと、
寂しくて悲しい気持ちでいっぱいです。
私は辛くて寂しいときには、胸が張り裂けるように父が恋しかったです。
姉たちがいましたが幼いときから離れて暮らしたので頼る所もありませんでした。
生きることが苦しいときには、父がいたらこのような苦しみはなかっただろうと涙を流したことも多いです。
父が恋しくて大変なときには、日本を恨みながら生きてました。

1999年に私ははじめて父の記録を見つけました。
記録でも父が亡くなったことを私の目で直接確認することができて嬉しい気持ちもありました。
ところでその喜びも一瞬でした。
記録を通じて父が靖国に合祀されている事実を知ることになったためです。
父が遠い他国でみじめに死んでいったのもうらめしいことなのに、死んでまで靖国に
閉じ込められていることは、とうてい理解することはできませんでした。

父が戦争に動員されたのは、韓国が日本の植民地にされていたためです。
ところが靖國は今でも韓国併合・アジア太平洋戦争を正しかったと言っています。
そのような靖國に、戦争の犠牲者である父を、天皇の為に戦って死んだ神として祀るなど、
とんでもないことです。父も怒っていることは間違いありません。

私は父の顔も知らず、一生「お父さん」と呼んだこともありません。
ところで、そんなにも会いたかった父が侵略神社靖国に合祀されていることを考えると、
苦しくて眠ることもできません。どうして日本政府と靖国は、家族にも知らせず、
どうして勝手に合祀することができたのか、許すことはできません。
父は決して天皇のために戦って死んだのではありません。
日本の侵略戦争に無理矢理動員されたのです。
愛する家族を残して、戦場へ連れて行かれた父の気持ちを考えてみて下さい。
私は遠い太平洋の戦場で、父が家族をどれほど懐かしく思っただろうか考えると、
日本を絶対に許すことができません。

私は父の記録を見つけるまでは、そういう事実も知らないまま、一生父を恋しく思い生きてきました。
父の死亡届も記録を見つけた後にやっとできました。
日本政府は、なぜ遺族に父の戦死を知らせなかったのですか。
日本政府はそのように私達遺族を無視しておきながら、一方では、靖國神社には詳しい
情報を提供しています。このような手前勝手なやりかたは、おかしいとは思いませんか。
私は直ちに父を靖国から解放させるることを強く求めます。

幼いとき、私には小さい願いがありました。草花が青く育ち、花が満開した庭のある家で、
両親の愛の中で暮らすことでした。しかし、父が戦場へ連れて行かれたので、
結局私の願いは叶うことができませんでした。両親の愛を受けず、
いつも寂しく生きてきた私の人生を思うと、あまりにも胸が痛いです。
このような私の苦痛を誰がどのように償うことができるのでしょうか? 
日本が戦争を起こさなかったなら、私も幸せに暮らすことができたはずなのに、
あまりにも悔しい気持ちでいっぱいです。

私は生きている間に、靖国に閉じ込められている父を一日もはやく解放させ、
子としての道理を尽くしたいです。
私たち家族に、このように大きい苦痛を強いた日本政府と靖国は、父を無断に合祀した責任に対して、
私に謝罪して、直ちに靖国から私の父の名前を取り消すべきです。


2018年5月22日

朴梅子


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
第15回口頭弁論 朴梅子(パク・メジャ)さんの陳述 ノー!ハプサ(合祀)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる